パールイズミの変革はRaphaの夢を見るか

サイクルウェアの選択にあたって、国内には2種類のサイクリストがいます──パールイズミを選ぶサイクリストか、あるいは着ることに抵抗を感じるサイクリストか。
クラスタによって最も判断が二分されるブランドであり、後者のようなサイクリストが一定数いるにも関わらず、国内では変わらず最大のシェアを持つビッグブランドです。

しかしこのブランドが最近、2017年のWebサイトリニューアルを端として、新たなブランドラインの開発やライドイベントの実施など、従来とは異なる取り組みを精力的にしているのは読者の方々も知ることと思います。
これまで長く日本のサイクルウェアマーケットを席巻してきたブランドですが、近年の新たな取り組みによって何を実現しようとしているのか。
個人的な見解を踏まえ、マーケティング観点から詳しく見ていきます。

1. 最初の接点を抑えてきたブランド

全世代に浸透するパールイズミ

およそ1年前にLOVE CYCLIST内で、「どのブランドを所有しているか」というアンケートを実施しました(有効回答数355)。その結果、最も所有率の多かったブランドがパールイズミであり、全体の51%が所持という回答でした*世代間の所有率の差もほぼなく、PIウェアは全世代に満遍なく分布。
*スタイルへの意識が高い方の多いLOVE CYCLISTの読者方でこのシェアなので、マーケット全体で割り戻した場合はもっとパールイズミの割合が多いものと思われます。

また2番目に多かったブランドはRaphaで、全体の24%が所持していましたが、世代間格差の少ないPIと比べて20代以下が少なく、30代前半に若干偏重しているという結果でした。

参考: Raphaとパールイズミ所有世代の分布

実店舗での販売を“面”で抑える

この世代間の違いは、主に価格帯と販売チャネルが影響しています。

所有率2位のRaphaは、これまでジャージ1枚2万前後が中心価格帯だったため、自然と可処分所得が高くなる世代にターゲットが絞られます。対してパールイズミは1万〜1.5万が中心となり、可処分所得の多寡に関わらず若年層からシニア層までが幅広くターゲットに

また、これまで自社チャネル(自社店舗とEC)を中心に販売してきたRaphaは、クラブハウスがある都市部に住むサイクリストを中心に選ばれてきましたが、パールイズミはカタログを配送して全国にある自転車ショップで販売するという対面販売スタイルが中心だったため、地方も含め全国に幅広く浸透するブランドとなりました。

パールイズミカタログ

カタログを無料配送する販売スキーム

パールイズミの強みは、ウェアは店頭で買うのが当たり前だったこれまでの時代において、国内実店舗の販売チャネルを網羅したことで、顧客とのファーストタッチを広い面で抑えてきたことでした。

どの商品にも共通することですが、最初に選択されたブランドは継続してユーザーに選ばれる傾向にあり、長く続いた実店舗販売の仕組みの中で、パールイズミは国内で強固なシェアを構築します。

 

2. マーケットの変化がもたらすもの

しかし現在、サイクルウェアが購入できるチャネルは、実店舗がまだまだ強いものの、オンライン上のシェアが徐々に拡大しています。
それは、最初のタッチポイントでパールイズミに触れる機会が減少しているということ。

Eコマースの普及に合わせてブランドの選択肢が国内から世界へと一気に拡張され、「まず最初に選ばれやすいブランド」から「数多あるアパレルブランドの選択肢のひとつ」という転換が起きつつあります。

この流れに合わせるように、サイクリストのスタイルも徐々に変化することに。

これまでのサイクルウェアのトレンド

レース主体のウェア

デザイン性が決して優れていると言えないパールイズミが選択され続けた理由に、これまでロードバイクが「ロードレースでの勝利を頂点とするピラミッド型のスポーツ」だったということがあります(以前はロードバイクではなくロード“レーサー”だった)。

そこにあるべきスタイルは、日常とは断絶し、いつもとは違う競技スポーツの世界に身を置く状態。つまりウェアのデザインもスポーツウェア然としたものでも違和感なく受け入れられるようになります。
だから普段着では選ばないデザインや色合わせを着ることに違和感はなかったし、「派手な方が良い」と言われてもそういうものだと思って着てきました。

素材の変化

そしてウェア素材の変化も影響しています。
かつてはウールがサイクルウェアの主流素材でしたが、機能性を追求するために1990年代には化学繊維(ポリエステル等)が用いられるようになります。化繊はデザインが自由になり、鮮やかな発色も再現することが可能
それにより、これまでのデザインの制約から解放され、落ち着いたウールの時代と対照的な、派手な化繊の時代が2010年代の半ばまで続きます。

グランツールをはじめとするロードレースの権威も強く、選手を真似するかのように派手なレース用ジャージを模したデザインのジャージが一般サイクリストにも浸透。

こうしてレースシーンで着られる世界観を踏襲した機能的ウェアとしてポジションを確立したパールイズミは、ここ最近まで国内のスタンダードブランドとして君臨してきました。

マーケットのターニングポイント

しかしちょうどここ2〜3年で、これまで長く続いたレースを主体としたマーケットが成熟を迎え、業界にとって新たな購買需要を喚起する方法が必要となります。
機材面では、グラベルロードやEバイクといった新しいカテゴリの登場だけでなく、ロードバイク自体も「ディスクブレーキ化」「タイヤのワイド化」「サスペンション機構の導入」など軽量化競争から脱したモデルを次々と投入。

サイクルウェアも、これまではサイクリストのパフォーマンスを最大限に引き出す機能性を各メーカーが求め続けたことで、行き着くところはすべて同じとなり、機能性による差別化が消失します

そのため次はデザインの差別化競争が始まっていますが、ただトレンド通りのパターンに作るだけではもはや差別化がしづらい状況のため、徐々にユーザーの情緒に訴えるようなブランドづくりが行われ始めているのが現状です。

自己実現としてのサイクルウェアへ

合わせてサイクリスト自身も、これまでの在り方から脱却したクラスタが現れ始めたことで、速く走ることだけが全てではないスタイルが徐々に浸透し始めています。

この変化をマズローの欲求5段階に当てはめれば、レースを主体とした世界観では「帰属欲求(集団に属したい)」、「承認欲求(他者から認められたい)」までの段階がサイクリストの主なステージだったものが、そこまでのステージが成熟した今、「自己実現欲求(自分らしい生き方を実現したい)」のステージを中心にマーケットが動き始めているという状況だと考えられます。

そしてロードサイクリングにおいて自己実現欲求を表現するツールのひとつにサイクルウェアがあり、どのブランドのウェアを選択するかによって自分らしさが表現されるという考え方が表れるように。
さらに言えば、ブランドの選択が「あぁ、あなたはそのような人なのね」という他者からのジャッジにも使われるという世界が徐々に浸透していくのだろうと思います。

それは、スタバのカップを手に持って朝オフィスに入って行く人、WindowsではなくMacを使う人を「そのような人だ」と僕らが感じるように、パールイズミを着る人/Raphaを着る人/PNSを着る人という観点で他者からロードサイクリングに向き合う価値観を判断されるようになるということです(すでにそれを実感している方もいると思います)。

その世界観の中で着るウェアに、従来のスポーツウェアらしい原色のデザインは選択されづらくなり、より日常にあるテキスタイルを利用したウェアが一般的になっていきます。

 

3. ブランドの変革と迷い

2017 – ウェブサイトリニューアル

こういった市場の変化によって、パールイズミも変革を求められます。
まず取り組んだことが、2017年のWebサイトリニューアル。リニューアルの目的は、もちろん見た目を変えることだけではありません。

スマートな印象へと変化

その内容から、今後パールイズミが狙いたいものが明確にわかります。
Webにあるコンテンツはストーリー、人、コミュニティといった、ウェアそのものを語るものだけではなく、パールイズミブランドを着るサイクリストの「体験」を語るものが追加されました。

自己実現の延長上にロードサイクリングがある場合、ウェアはデザインや機能性だけではなく、そのブランドを選択することでどのような優れた体験を得られるかという点が重要です。

これまでのパールイズミのブランド資産は「機能性」「価格」「リアル店舗での入手しやすさ」がメインでしたが、(それ自体は素晴らしい資産であるものの)この先持続可能なビジネスモデルとは言い切れないため、従来のタッチポイントでは獲得できなくなってきた新たなファンを囲い込むための一歩として、ブランド体験を訴求する方向へと舵を切ったということです。

2018 – PIGL

さらにパールイズミは、2018年に「PIGL」(Pearl Izumi Garment Lab)というブランドをリリースしました。

PIGL第1弾のキット

これはレースよりもライフスタイルに寄り添う価値観を取り込んだブランドであり、合わせてコンセプトの言語化オンラインでの販売など、従来のパールイズミからは考えられなかったコミュニケーションスタイルでウェアを展開します。

変革を担う人物

新ブランド「PIGL」の立ち上げは、前述のWebサイトリニューアルから続くパールイズミ変革の重要な戦略に位置づけられています。
業界関係者の話によると、この戦略を取り仕切っている人物はプロパー社員ではなく、外部から中途入社した社員であるとのこと。

彼は大手広告代理店にいたためマーケティングトレンドに精通しており、また外部にいたことから俯瞰した視点でパールイズミの現状を把握することができました。

入社後、組織やマーケティングの在り方についておそらくかなりのテコ入れが必要だと考えた彼は、従来のパールイズミブランドとは異なる立ち位置で、マーケティングの基本的な考え方である「顧客体験」を高めるための戦略を中心に担うことになります。合わせて専属のチームを作り上げ、彼があるべきと考えるサイクリングアパレルブランドの理想形を形にしていきます。

それが、機能性だけが訴求ポイントではなく、ライフスタイルを重視するサイクリストに合ったオリジナルブランド「PIGL」を作ること。さらに、PIGLに共感してウェアを購入したサイクリストを集め、コミュニティを構築すること

このコンセプトにファンを根付かせることができれば、PIGLは従来のパールイズミユーザーとは異なるクラスタを取り込んだ新たなブランド資産を形成することができるはずでした。

先行者の存在

しかし、同じ取り組みをすでに世界規模で展開していたブランドがありました。
それが、従来のロードレース主体のサイクルウェアに対するアンチテーゼとして生まれ、クラブハウスと“RCC”という世界規模のコミュニティを運営するブランド“Rapha”。

PIGLのコンセプトは、件の社員がこれまでの知識と経験によって内発的に作り上げたものですが、あまりにも優れた先行者がいたために、PIGLの取り組みは、(実際はそうではなかったとしても)「Raphaの模倣ではないか」という声が外部から挙がることになります。

それほど、これまでのパールイズミのマーケティングが世界的に見て何年も遅れをとっていたということですが、逆に言えば、PIGLの登場によって、パールイズミは勝負の世界のスタートラインに立ったということでもあります。

 
 
 
 
 
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PICCによるコミュニティづくりの取り組み

2019 – PGL

しかしPIGLは、立ち上げから1年も経たない2019年4月に「PGL」へとブランド名を静かに変更します。

本来名称を変更するようなリブランディングは、従来のブランドを認知したファンを新ブランドへスムーズに移行させるように慎重に戦略的に行う傾向がありますが(最近の事例だと花王の“トップ ZERO”のように)、何の前触れもなく告知もなくブランド名を変更できたということは、前PIGL時代にはブランド資産がほとんど形成できていなかったということの表れでもあります。
だからこそ2019年度の事業計画として、PIGLブランドの早急な改善が迫られていたということ。

ドメインはpiglのままなのでかなり応急手当だった模様

“I”を取り除いたことからわかるように、“Pearl Izumi”を連想しづらいブランド名に敢えて変えています。
狙いはわかりやすく、「パールイズミ」から想起される古くからのイメージを排除し、独立したブランドとしてドライブさせていくことです。

オーナー企業の強固なアイデンティティであり、かつ日本のサイクリングアパレルを代表する名前だった「パールイズミ」を、新ブランドで認知しづらくしたということ。これは、上述の社員が社内で発言力を強め、そして多くのほかの社員の意識が“変革”へと向かっているということなのだと思います。

この流れがブランディングとしては正しいのかという是非の判断は、今時点では読者のみなさんが心に思うところでわかると思います。
しかし最終的なジャッジはこの先の展開を見なければわからないことであり、また少なくとも旧来の枠組みを脱しようとする組織の意志は未来へ向いています。

だからこそ、今後は「パールイズミのラインナップのひとつ“PGL”」ではなく、「イケてるブランド“PGL”」になるように、このブランド名を貫いて、競争が激しいサイクリングアパレルの世界でプレゼンスを高めていく過程を見られることを期待するしかありません。

 

4. パールイズミに願うこと

パールイズミは未だ国内シェアトップを担っており、旧くからのファンが根付いている限り、この先の取り組みが日本のロードサイクリングシーンを決定付けると言っても過言ではありません。
現在の自転車ギーグを中心とした世界のまま進むか、あるいはライフスタイルの中に自然と溶け込む“カルチャー”として根付くか

パールイズミに願うことは、僕らの情緒を動かすような、心の奥底から発せられるような熱量を発信してほしいということ。

PGLは、「この地球上で、最もシンプルで機能的かつ快適なエンデュランススポーツのウェアをつくること」をテーマに、細分化されたウェアへのニーズに答えるプロジェクト。サイクリストの今の想いを把握することで、彼らのライフスタイルに新しい価値感を提案し、ライドがより楽しくなることを目指す。

パールイズミ公式サイトより

現在PGLはWeb上でいくつものブランドコンセプトに関わる言葉を発信していますが、その内容はほとんどのサイクリストにとって理解が困難なものです。だから、耳あたりの良い感覚的な言葉を並べて、Raphaの模倣をごまかしているのではとつい思ってしまう。

でも実際は、ブランド価値を高めていき、独自のサイクリングスタイル&コミュニティを形成したいと思うはっきりした意思があります。
頻繁に発せられる「着心地の良さ」という“機能訴求”ではなく、なぜPIGLを立ち上げ、PGLへと変化し、そしてどこに向って、どういうカルチャーを作りたいのか。それを率直に文章やプロダクトを通して伝えて、僕らの心を動かしてほしいと思います(Raphaはそれを伝えるのが巧い)。

そしてその先に、このブランドが、多くの優れたコンセプトを持つ海外のブランドと同じように語れる世界が来るだろうと思っています。

(了)

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