text by Tats(@tats_lovecyclist)
日差しの厳しい8月末、尾根幹を抜けた先にあるZEB橋本で行った、Cycle Sports前編集長の吉本司氏との対談。
業界の現状、社会インフラとしての自転車、競技の可能性、そして自転車メディアについて──雑誌とWebという異なるメディアに携わる視点から話題は多岐に渡ることになりました。
そもそもこうした(わりと内輪寄りな)企画をやるのは、いつも伺っている吉本氏の話を僕の身内だけに留めるのはもったいなく、読者の方々にも共有したいという思いから来ています。
僕たちは2人とも今の自転車業界と自分たちのスタイルとの間にある種のギャップを感じていて、そのギャップを埋めるためにメディア側からどんなことができるか、ということをよく考えています。
そんな内容を語った本企画。大きくテーマを2つに分けて前後編でお送りします。
自転車界を担う世代
Tats:吉本さん、ここまでライドお疲れさまでした。相変わらずめっちゃ速いですね…!
吉本:いやいやいや、僕はもうそんなでもないですよ。
Tats:ちょっと汗が引くまでゆったり話しましょう。
この対談は、以前色々と意見交換させてもらった中で、「何かメディアについての対談企画やりましょうか」というお話をいただいたのがきっかけですね。
30年以上この業界を見続けていらっしゃった吉本さんと、立ち上げから5年目のWebメディアを運営する僕とでは業界に対する知見に差があると思いますが、見ている先は比較的近いところにあると勝手ながら思っています。よろしくお願いします。
吉本:こちらこそよろしくお願いします。
Tats:メディアについて、といっても切り口が色々あるのと、まず業界の全体像を把握してから語った方が良いと思うので、最初に自転車業界についてお話できればと思います。正確に言うと僕たちがいるのは“スポーツ自転車”業界ですね。
で、どの業界でもそうなんですが、今とこの先のことを考える上で、世代別の比率が重要な要素になってくると思っています。次世代の担い手が出てくるのか、という観点です。
吉本:それで言うと、自転車界は比較的年齢層は高めですよね。ボリュームゾーンは僕と同じ40代だと思います。
Tats:そうですよね。LOVE CYCLISTの読者も、若い世代や女性が多いと思われていますが、実際一番読んでくださっているのは40代男性の方々で、次に多いのが僕と同じ30代。業界全体の比率と合致していて、20代以下は少ない。なぜそういう世代構成になっているのでしょう。
吉本:これには僕たちが若い頃の時代背景が影響していて、当時は自転車コンテンツに触れる機会が本当にたくさんあったんです。
1980年代中頃からロードバイクやトライアスロンが人気になり、1980年代末〜90年代のアウトドアブームがあってMTBが爆発的に流行ったし、その頃はツール・ド・フランスもNHKやフジテレビで放送されていた時代でした。自転車の楽しみ方の中心が、それまでのサイクリングやツーリングといったレジャーから、ロードレースやトライアスロンのようなフィットネスやスポーツといった方向にシフトしていった時代ですね。
Tats:フジでツールですか…!今だと信じられないですね。
吉本:そう。1990年に宇都宮でロード、前橋でトラックの世界選手権があったときは、テレビ(当時の情報はほとんどが雑誌)で見ていた選手がナマで見られるということで見にも行きました。
あとは92〜95年にチャンピオンで連載されていた漫画の「シャカリキ」。
Tats:その時期なんですね。
吉本:ちょうど僕たちはツールのTV放送やシャカリキ世代なんです。
Tats:テルが表紙になったサイスポの7月号は、吉本さんが企画されたものだと仰っていましたものね。
吉本:発売前に編集長を退任したので、最後まで企画には関われなかったのですが、本当は表紙だけでなく〝僕らはマンガでロードバイクが好きになった〟という企画を第二特集でやりたかったんです…。
Tats:それめちゃくちゃ読みたかったです。
吉本:漫画も含めてこういう多様なコンテンツに触れながら、自分たちでも実際にいろんな種類のバイクに乗ってきたので、ロードバイクだけじゃなく“自転車”に対して感度の高い人が多く育った世代なんだと思います。だから同年代にも今業界で影響力を持つ人が多い。栗村修さん、飯島誠さん、中野喜文さん、とかが同世代ですね。
Tats:世代比は単純に可処分所得である程度決まると思っていましたが、若いときにどんなコンテンツに触れるかというのがかなり重要ですね。
今の20-30代のコンテンツを考えると、2010年前半に新城選手と別府選手がグランツールで活躍したことや、フルームのツール連覇などが記憶に新しいですが、やはり2013年からしばらく続いた弱虫ペダルブームだけコンテンツ力が突出していました。
吉本:だからコンテンツの多様性という意味では弱く、社会的な影響力も一部に留まったということかもしれません。
Tats:行動変容を起こすコンテンツが少なくて、次の世代につながっていないというのが今の状態ですかね。 これはサイクリストの数だけではなく、業界側の人材もそうだと思います。大手メーカーから聞いた話だと30代前半で若手と呼ばれる状態のようなので。
吉本:雑誌の世界でも、著名な書き手は若くて30代後半くらいですね。そもそも書き手の数も少ないですしね……。
月刊自転車専門誌「Cycle Sports」の前編集長を務めた吉本司氏。現在は自転車を軸に様々な活動を行っている。スポーツバイク歴は35年以上で、ロードバイクのみならずすべての自転車選びを好み、機材からウェアまでジャンルを問わず幅広い知識を持つ。
スタイルの分断
Tats:こうした世代の話とはまた別に、走り方とか楽しみ方のスタイルについても課題はあると思います。
吉本:数年前まで自転車ブームに沸いていましたが、それって〝自転車ブーム〟ではなく〝ロードバイクブーム〟ですね。結局ロードバイクって速く走ってこそ面白い乗り物だから、自然と数字を追い求める傾向が強くなってしまう。月間走行距離をどれだけ稼ぐとか、FTPをどれだけ上げるとか、そういう際限ない競争の部分にいまだ多くの人が価値を抱いていると思います。
それも一つだとは思うけれど、やっぱりそればかりだとついていける人しか残らない。
Tats:コンペティティブを追求するというのは機材の性質上“あり”ですが、残ることができた人たちは「強い人」で、そうでないスタイルを「ついていけなかった側」として排斥する傾向を感じることがよくあります。
吉本:それこそ80年代にはサイクリングを楽しむための〝ランドナー〟や〝スポルティーフ〟といった車種があったんです。でもロードバイクがブームになってメーカーもそれが売れるからこうしたサイクリング車にあまり力を入れなくなった。本来ロードバイクはレースをやるための乗り物なのに、選択肢がないからレースをやらないのにロードバイクを選ぶ。
Tats:スポーツ自転車=ほぼロードバイクですからね。
吉本:でもやっていることと言えばデイライドやロングライド、ツーリング。
そういうミスマッチからやがて一般人でも乗りやすいエンデュランスロードが生まれて、ひいてはグラベルロードのような車種が生まれてくるわけです。今、グラベルロードや太いタイヤのロードバイクが注目されているのは、速さや強さへのアンチテーゼですね。自転車って本来もっと気軽に楽しめるものなのに、ロードバイクしか選択肢がなかったから窮屈な遊び方になっちゃった。だから近年の脱コンペという流れは、自転車遊びの保守本流に回帰していて素晴らしいことですよね。
その一方でコンペとカジュアルが分断されているようにも感じます。どっちもありだし、両方やっても全然良いんですよ。ショップで言えば、BLUE LUGやサークルズのようなスタイルは今すごく伸びているジャンルなのに、お互いを認めていないような空気もありますね。
Tats:こういう話をするとき、「コンペかカジュアルか」という二極になりがちですが、仰るように両方やっても良いし、僕はその中間のスタイルが最も心地良いと思っています。数字は気にするけどそこに囚われない、たまに緩く走ることもあるけれど、基本はある程度の強度を保つ。そうすることで、競技用バイクとしての性能はもちろん楽しめるし、自分の生活の中でのロードバイクとの向き合い方にバランスが保てるんですよね。
吉本:バランス感というのはすごく大事ですね。大人になってからはそっちの方が大事だと思います。レースを志すのなら速さにこだわることは必要だと思いますが、楽しむという観点では速さにこだわる必要はありません。〝楽しむために速さが必要〟であれば速く走ればいいんです。レース以外は答えがないのがいいんです。楽しさの答えはライダーの数だけあるのではないでしょうか。
走っているときは格好良く見えるけど、バイクを降りたら服装とか生活スタイルとかが「あれー!?」みたいになると残念なので。若い頃は自転車バカでもいいと思うのですが、30過ぎたいい大人になってそれっていうのはね……。
Tats:ゲレンデマジックのパターンですね。
吉本:そんな綺麗なものではないかもしれませんが…。
Tats:吉本さんはもともと競技をやられていたようですが、いつ「数字を追い求めるスタイル」をやめましたか?
吉本:20代前半のときでしたね。それまでは距離とかタイムとかすごく気にしてて、普段着とかはあまり気にも留めなかったです。でも、あるときふと数字を求めることがむなしくなったんですよね。もともとサイクリングをしていた身なので、走るのが義務感になってしまうのが辛いところもありました。まあ、単に努力ができなかったというだけなんですが…。たぶん競技経験者の多くは、自分の実力が頭打ちになったりするとそういうむなしさを一度は経験していると思います。
そこで走ること自体を止めてしまうか、競技の世界に戻ろうとするか、別の楽しみ方を見出すかという道が分かれます。
僕は周りに鈴木真理くん(アテネ五輪ロード代表)みたいなすごい人たちがいて、自分の実力がある程度わかってしまったので、早い段階でライフスタイルとのバランスを考えた向き合い方を考えることができました。
社会インフラの領域
Tats:ライフスタイルとのバランス、それがもっと一般的になるとスポーツ自転車の裾野はもう少しゆるく広がると思います。
吉本:ただスポーツ自転車って自転車業界全体の中ですごく狭いマーケットなんですよね。業界のピラミッドの一番上の部分ではあるけれど、面積で言ったらほんの一部。
だから業界の未来を考えるなら、そこを伸ばすよりも、ピラミッドの裾野の広い部分を本来は見なくちゃならない。
Tats:それってモビリティとしての自転車という部分ですか。
吉本:そうです。トヨタが推進しているスマートシティ構想のように、未来の自転車はまず最初に街づくりがあって、その中でモビリティがどう活用されるか、という視野で語られるようになっていくと思います。自転車が社会インフラ化する世界ですね。結局のところプロダクツは使われる環境がなければ売れないし、売れなければ技術も進歩しませんから。
Tats:確かに。コロナ禍で世界的に自転車活用の動きがあって、都市交通が自転車ありきで考えられるようになっていますからね。
吉本:ほかの国の事例だと、ボッシュはeバイクで欧州のモビリティ業界を席巻していますね。かなり政治的な動きもしていますが、いちメーカーとして国を巻き込んで普及させていくやり方が非常にうまい。それにヨーロッパは元々自転車を交通手段として活用する社会が日本と比べると成熟していますから、スタート位置も違いますよね。
Tats:ただ国内だと、業界がインフラ化するために動いている感じはなく、各ショップやメーカーの動きが分断されているように見えます。国内の自転車業界は今後インフラ化に向けて動いていくのでしょうか。
吉本:国としても自転車活用推進計画を打ち出しているので期待はしたいのですが、正直な話、モビリティという観点では自転車業界が入っていくのはもう難しい段階にあると思っています。
そもそも日本の自転車メーカーが現時点でスマートシティ構想に入り込めていない。ボッシュのように政治的に動くにはかなり大きなハードルがあると思います。
Tats:なるほど…。
儲からない業界
Tats:そうなると、やはりスポーツ自転車という枠組みを拡げていくという観点しか残されていない。
ちょっと生々しい話に移行していきそうですが、マーケット規模は小さくなるので、この中でもっとお金が回る仕組みを増やす、という考え方になっていきます。
吉本:お金の話は大事ですね。業界のことを考える上では避けて通れません。
Tats:ダブルワークしながらメディア運営している僕のような立場から率直なことを言うと、単価水準がほかの業界と結構差があります。それが単純に良い悪いではなく、つまり自転車界全体が平均より低い水準をベースに回っているということだと思います。
吉本:外部から入るとそう感じますよね…。自転車はみんなで儲からない業界にしてしまったんです。
わかりやすい例で言うと、自転車ショップのサービスですね。走行会をやったり、走り方やパンク修理を教えたり、そういったものの多くが無料サービスになっている。
でもそれをやるにはお店側の“稼働”というコストがかかっています。本来無料にしてはいけない部分なんです。これは自転車だけじゃなくて、最近の日本のサービス全般に言えることかもしれないんですけど……。
Tats:それが普通だってなると消費者側が甘んじてしまうのですが、そのせいでメディア単位でも、コンシューマー単位でもお金が回らなくてあまり良くない循環が起きていますね。
吉本:じゃあほかの国はどうしているかというと、同じアジア圏でもタイとかシンガポールではロードバイクが富裕層のスポーツになっています。
Tats:あぁ、インスタでよく見ますね。Pas Normal Studiosを着て優雅な写真を撮っているタイの人たち。
吉本:タイだと国際空港のまわりにスカイレーンという自転車コースが整備されていて、そこでハイエンドバイクを乗る富裕層が数多くいます。
グループライドも基本的にはお金を払って参加するもので、サポートカーが常に帯同して万全の状態で走れるようにショップ側が配慮をしている。こうやってサービスに対する対価が適切に支払われることで好循環が生まれています。
富裕層からマネタイズするというのは、そういう仕組みが自然とできることなので、ある意味正しいやり方だと思います。
Tats:それを聞くと、僕らのような一般層でもサービスに適切な対価を払うことで、あとからちゃんと自分に返ってくるような気がします。
吉本:「見えないものにもちゃんとお金を出す」というメンタリティが定着するだけで大きく変わることだと思います。
競技の可能性
Tats:あとは競技として見たときのお金まわりですかね。ロードレースの事業規模も、ほかのスポーツと比べると小さいことがヨーロッパ含めて課題となっています。
吉本:他のプロスポーツと比べると圧倒的に予算が少ないのがロードレースですね。
サッカーはスポンサー収益のほかに、放映権収益、スタジアム収益、グッズ販売、選手の移籍による収益といった仕組みで巨大なエコシステムを築いている。だから選手の年俸も大きくなる。
ロードレースはというと、観客は沿道で観戦することが主となるのでお金をもらえない。放映権料の分配もほぼないのでほぼスポンサー資金と賞金だけでまわっています。年俸もサッカー選手と比べると桁が違う。
Tats:1億あればプロコンチネンタルチームを1年運営できるくらいですからね。個人のお金持ちでもできてしまう。
吉本:ワールドチームで最も予算の多いチームスカイの年間予算が35億くらいだったのですが(※現イネオスは50億)、香川真司のマンチェスターユナイテッドへの移籍金が22億だったので、トップクラスのサッカー選手1人と10人以上選手を抱えるワールドチームが同じ予算規模だということがわかると思います。選手の年俸を見てもロードのプロ選手で最も高いのはP・サガンの約6億円。対するサッカーの最高はR・メッシの138億円ですからね……。
Tats:聞いててつらくなる数字ですね…。 トラック競技の方はどうですか?この方面は僕は明るくないのですが、国内だと競輪(JKA)はロードレースに補助金を出せるくらいお金を持っているというイメージがあります。
吉本:競輪はスポーツビジネスとして見ると、実はロードレースよりも可能性はあるように思います。仕組みが守られているので。
英国はロンドン五輪に向けて自転車競技の強化を行い、トラックチームが大きな成功を収めました。こうした強化のノウハウ、自転車競技への関心の高まりがチームスカイの誕生・活躍にも大きく影響しています。
Tats:おぉ、そうなんですね。
吉本:競輪はまだスポーツエンターテイメントとしては弱い部分がありますが、強い選手が世界中から集まって、世界中からオンラインでベッティングできるシステムがあれば、事業として広がって世界でも戦える可能性があります。
Tats:やはりベッティングとなるとお金の動きが大きくなると。
吉本:ベッティングのシステムはサッカーをはじめとして欧州では盛んですよね。それを含めた競輪のシステムを世界共通にして各国でレースが行われ、トラックのプロ選手達が走り世界中からベットできれば、相当な大きなお金が動くはずです。スポーツエンターテイメントして面白ければ放映権料も大きくなるでしょう。
また競技も競輪だけじゃなく、マディソンをはじめとする他のトラック競技も入れてもいいかもしれません。ポイントレースなどがあればロードレースのスプリンターやスピードマンも活躍できます。
Tats:競輪のシステムを元にした世界展開ですか。
吉本:そのためには、今のバンクの周長を変える必要があるでしょう。1周500m、400m、330mではなく、国際規格のトラックレースと同じインドアの250mにする必要があると思います。国際標準に合わせるという意味だけでなく、短走路の方がスピードが増し個々の駆け引きの応酬が激しくなって面白くなるんです。観客を楽しませるエンターテインメントとしての見せ方ですね。
今度松戸競輪の跡地に短走路ができるので、そこで競輪が行われるようになるとまた違った面白さもでてくるのではないでしょうか。
さらに今、メジャーリーグやサッカーのスタジアムがやっている〝ボールパーク〟のように、ベロドロームの周辺にショッピングモールやアミューズメントパークを建設してすれば、さらに大きな、そして立体的な収益構造となるでしょう。
Tats:競技周辺までパッケージで楽しめる構造まで行くと、コアファンでなくても楽しめるようになりますね。簡単ではないと思いますが、こうして競輪が活性化すれば、その効果がロードレースにも波及して良い循環が生まれそうですね。
若年層の不足、スタイルの分断、単価水準の差、競技の事業規模──スポーツ自転車界のリアルが浮き彫りになっていきました。この中で、僕たちメディアに関わる人間はどう向き合っていくか。
Part2では、こういった課題を抱える自転車業界と自転車メディアの関係性について話していきます。
text/Tats(@tats_lovecyclist)
photo/Ryuji(@marusa8478)