僕らサイクリストは常に季節の移り変わりを感じながら1年のサイクルを過ごします。
いつもの週末の早朝、サイクルウェアに袖を通し、ビンディングシューズのダイヤルを締め、バイクと一緒に外に出て、車通りのまだ少ない道路を走り出した瞬間に感じる空気が、週を追うごとに明らかに変化しているということ。それはサイクリストだからこそ、より敏感に感じるものです。
特に冬の冷え切った朝の気温は、オフシーズンに入って一緒に走る仲間が少なくなるため寂しさを感じることもありますが、肌に刺さるような痛い空気の中で走ることに、「それでも僕らは走るんだ」と、生きることを全力で楽しむことに似た喜びを噛みしめることにさえなり得ます。それが、たとえ冬でも毎週のように外を走る理由のひとつなのだと思います。
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今年後半は、不運にも週末の天候に恵まれないことが多々あり、多くのサイクリストたちは悶々とした日々を過ごしたことだろうと思います。
僕自身、それに前後する時期で突然大きな病気を発症し、外に出ることが難しくなりました。それはまるで人生を見えない力に無理矢理押し戻されるようなひどい恐怖で、ベッドの中でうずくまりながら、なんとか物事を良い方向に考えるように努めました(LOVE CYCLISTだけは極力平常運転を続けようとしました)。
自転車に乗れなくなる可能性もありましたが、それでもその期間全力で治療することに専念し、そして本当に幸運なことに、1ヶ月と少しで再びサドルの上にまたがることができるようになりました。
最初は補助輪を外したばかりの6歳児のように、細くなった脚でおそるおそるペダルを踏みはじめましたが、次第に速度に乗って風を受けたとき、ありふれた表現ですが、真波くんの言っていた「生きてる」という言葉が、まるで深い井戸をやっと掘り当てたかのように、心の奥底の部分からゆっくりと滲み出てきました。
そしてそんな気持ちを察してくれたのか、リハビリのライドを一緒に走ってくれた仲間は、「喜びが背中から溢れている」ということを言ってくれました。
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ただ走ることにこれほど喜びを見出だせることは幸せなのだと思います。
病気は不幸な出来事でしたが、自分が選択したものごとを深く見つめるための稀な機会ともなりました。僕らは常にベストのコンディションでいられるわけではなく、時に自分の意思とは違うかたちでサドルから降りなければならないことがあります。それはひとつの道の成り行きかもしれませんが、最後にいつかはサドルを降りるということを理解することで、いつものように走り出す朝に感じる喜びの感情を、より強く太く自分の中に取り込むことができます。
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今後どこかですれ違うかもしれないサイクリストのみなさんに、健康で事故のない一年が訪れることを願っています。僕もできる限りの間はいつも全力で楽しみたいと思います。
よいお年をお過ごしください。