サイクリストの品格は所作に宿り、コミュニティにおける所作の伝播がカルチャーを形成する。

一緒に走って心地良いと感じるサイクリストがいる。強度管理が適切で、状況判断が的確で、そして安全だと感じる。
その理由は、速さでも、見た目でもない。手信号を大きく出すとか、交通法規を強調するといった話でもない。

それは集団における適切な「所作」にある。所作は書籍やオンライン、また教室のようなもので学べるものではない。一緒に走って、その背中を見て、少しずつコミュニティの中で育っていくものだ。

ここ10年で、サイクリスト同士のつながりはショップ中心からSNS中心へ移り変わった。その変化によって、走りの所作が継承されにくい状態になった。特に「安全に走ること」がおろそかになり、落車をエンタメ化したり、動画を晒してひたすら叩くといった歪みが生まれている。そうした流れの中で、「こう走るのが格好いい」という国内の自転車カルチャーの土台も薄れている。

では、その状況を踏まえてLOVE CYCLIST(以下: ラブサイ)のコミュニティはどう考えているのか。競技出身の3人とともに、今の状況とこれからについて話していく。

座談会メンバー

Ryuji Riku
Ryuji@ryuji_ride
愛媛在住。スポーツバイク歴16年。POCアンバサダー。過去には競技者として打ち込み、表彰台に上がった経験も持つ。自転車専門誌の編集者、サイクルウェアメーカーといった経歴から業界にも精通。
Riku@rikuchan.jp
神奈川在住。過去にロードレースに出場しており、最近はシクロクロスのトップカテゴリーをメインに活動しているライダー。競技面とスタイル面、どちらも兼ね備えたライドスタイルを実践しており、本人曰く「俗に言う“イケてて速いやつ”になりたい」。
Yokoya  
Yokoya@yokoyan.jp
千葉在住。2024シーズンは山梨のチームに所属し、Jプロツアー2年目としてジャパンカップをはじめさまざまなトップカテゴリのレースに参戦。シクロクロスレースを主体としたサイクリングコミュニティ「変態志駆路倶楽部(HentaiCycloClub)」も運営。
 

モデレーター

Tats Tats Shimizu@tats_lovecyclist
東京在住。編集長&フォトグラファー。海外ブランドと幅広い交友関係を持ち、メディアを通じてさまざまなスタイルの提案を行っている。同時にフォトグラファーとして国内外の自転車ブランドの撮影を多数手掛ける。メインバイクはStandert(ロード)とFactor(グラベル)。

なぜ今“所作”を語るのか

しょさ【所作】
行い、振る舞い、身のこなし、しぐさ。礼儀を踏まえた上での洗練された立ち居振る舞いを指す

——— なぜこの3人と『所作』というテーマで語ろうと思ったかというと、3人と一緒に走るときに「心地よい」と感じるからなんですね。後ろにいて安心感があったり、負荷もコース取りも最適だと感じる。
3人に共通しているのは、競技出身という点だった。それもヒルクライムとかではなくロードレース。なぜ競技出身者の所作が心地良いと感じるんだろう? みんなの所作の由縁を知ることで、競技をしないサイクリストにもより良い走り方の道が見えるのでは?と考えてこの場を設けました。

Yokoya, Ryuji, Riku(競技出身) | Tats(非競技者)→

Riku:所作って言語化するの難しいですよね。これまでも、ロードバイクのノウハウって、速く走るための情報は手に入るけれど、「周りとの関係性の中でうまく走る」という部分はほぼ語られてこなかったですし。
でも僕らが競技をやってきた中で、練習会やレース本番で身につけてきた所作ってまさにそこで、「集団の中でいかに迷惑をかけないで走るか」というところなんですよね。それが日常でみんなと走るときも自然と出てくるようになっているんです。

Yokoya:僕も練習会で走り方を身につけていきました。千葉のショップコミュニティに入り浸っていたころ、上手い人の走りをとにかく観察して真似していた。千葉って練習会が豊富で、トップレベルの人と混ざる機会が自然に生まれるんですよ。
それこそ「◯◯さんを転ばしたらマジでやばいぞ」みたいな回もあるし、エリートカテゴリで走るってどういう意味かを学んだのもそのころで、自分の脚力よりもまず「集団で安全に走ること」が前提に置かれるんだな、という意識がありました。

Ryuji:僕も競技に入れ込んでいた学生時代は名古屋に住んでいて、ショップの練習会に毎週参加していました。イナーメ信州山形の今でも有名な選手がいる環境で、僕が若かったこともあって練習中に怒鳴られることも普通だったので、「ライン外すな」「イン切りするな」とか本当に色々なことを教わりました。正直、怒られるのが嫌だから、無理にでもそういう所作を身につけなきゃいけないっていうのも大きかったんだと思います。じゃないと集団の中で生き残れない。

——— 今はその環境が減っていますよね。ショップ起点の練習会が確実に少なくなって、コミュニティがSNSベースに移行した。それ自体は多様性が広がったという意味では良いことかもしれないけれど、所作を伝えるカルチャーがなくなったことで、正しい走り方が継承されにくくなっている、といった感覚がある。結果として、「所作も含めてスタイルを受け継いでいく」という意味での自転車カルチャーが、国内では途切れているとも感じます。

Ryuji:今は「速さ」は個人で完結する時代になったとは思います。FTPはZwiftで上げて、情報はオンラインで得る。でも、ほかの人と一緒に走るための所作はそこに含まれていない。

——— だからこそ、所作を考えて実践することは今の時代のサイクリストにとってすごく価値があると思う。ラブサイ自体がメディア起点のコミュニティで、練習会とは違う成り立ちですが、幸い競技をやっているメンバーもたくさんいるので、そこから所作を学ぶことで、コミュニティがより良いかたちになると思っています。

 

サイクリストの品格を生む所作

——— 3人は実際に競技の中でどんな所作を身につけてきたのだろう。

Ryuji:たとえばコーナリングの話になると、自分のラインを守るようにかなり言われます。「イン切り*」するのは集団の中だと基本的にはやっちゃいけない(*ラインを外れて内側に向かって斜めに切れ込む動き)。あえてイン切りして、コーナーの立ち上がりで踏んで、を繰り返して後続を疲弊させるというテクニックはありますが、何も考えずにやると落車が起きます。だからコーナリングで前を走っている人の動きでレベルがわかったりするんです。
道路を走っているときも、ラインをキープするのが基本です。路駐の車とかでラインを外すなら、必ず周囲を確認して、必要なら合図する。これは意外とできていないことがあります。

あとはブレーキをかけるタイミングとかもそうですね。危ない状況のとき、「ブレーキをかけるより、すり抜けるスペースを探して行った方が安全だろう」といったことを0コンマ何秒の間に判断する。高速移動しているから瞬時の判断力が必要になってくるんですが、レースで戦っているとそういった感覚がどんどん研ぎ澄まされていく。下手な人はすぐブレーキをかけて集団落車を起こしたりします。

Riku:集団内の走り方だと、ぴったりくっついて肩をあてながら走ったりします。レース中って若い選手は血の気が多くて、ちょっと空いているとすぐ間に入ってくるんですよ。だからくっついてスペースを消して、ラインを保持する所作も必要になる。
そういう走り方に慣れていると、普段走っているときでも他人との距離感を一定に保てるし、ギリギリの距離でもある程度余裕を持って走れるようになります。

Yokoya:レースに出ていると、視野の広さが嫌でも身につくんですよね。たとえば100人くらいの集団にいると、左側の流れと右側の流れでスピードが違ったりするんです。左右の波を見ながら、どこに入るか、どこで速度が変わるかを予測しないと最適なポジションが取れない。
逃げが形成されるときもそうで、誰が動いたかは前だけ見ててもわからない。全体の流れがどうなっているかで判断する必要がある。レースで戦うのって、そういう“見えない部分”まで意識して走ることなんですね。しかもレベルが上がるにつれて、さらに視野を広くしないと対応できなくなる。

Ryuji:その視野感覚ってやっぱりレースに出続けないと養われないですよね。僕は家庭の状況でレースからしばらく離れていたんですが、2年前に久しぶりにツール・ド・おきなわとニセコクラシックに出たんですよ。でもそのとき、集団で何が起きているかまったくわからなくなっていたんです。あとから逃げが決まっていたことを知ったんですが、レース中盤までそれに気づかなくなっている自分がやばいなと思った。
レースから離れると、脚力だけでなく感覚も落ちていくので、もし勝負に絡もうとするなら、もう一回そういった感覚を養わないといけない。

——— それでもRyujiと走ると安心感があるから、基本的な視野感覚は残っているってことだよね。RikuやYokoyaを後ろから見ていても感じる。周りの動きが全部頭に入っているような走り方をしているなと。

Riku:集団走行での所作って、まず周りの目があって、周りに認められるために覚えていくようなものですからね。そういうのを学んで初めてレースで走れる状態になるんですよ。それが当たり前になっていくと、自然と一緒に走っている相手のことも理解できるようにもなります。

Yokoya:普段走るときも全体の流れを意識するようになりますね。先頭を引くときってもちろん目線は前方なんですが、前を見ていても意識はいつも集団全体に向いています。

Riku:ドローンで上から俯瞰している感じだよね。

Yokoya:そんな感じだね。だから例えば、遠くに信号があったとき、今のスピードで進んで信号に到達するまでに色が変わりそうなら、集団の伸び方を見て踏むか踏まないかを判断する。
ペース管理も、一緒に走るメンバーやコースを見て、どれくらいでギリギリで付いてこられるかを把握して強度を合わせる。踏みたいメンバーがたくさんいたら、集団がはぐれる心配のない場所でアタックする。

Riku:これを例えると、高速道路で渋滞の運転が上手い人だと思うんですよ。
周りの車の動きに合わせて、適切な車線で適切な車間をとりつつ、ブレーキをかけたりせずに、アクセルの絶妙なON/OFFで位置を調整する。そうすると渋滞が緩和されてスムーズに流れやすくなる。
そういうことができる人は自転車の集団の中でも適切な動きを意識しているな、と。

——— こういう話を聞いていると、所作ってテクニックではなくて、集団のリズムと意図を読む力と連動したものなんですね。自分のことだけでなく、ちゃんと周りに意識を向けていること。それがあるから、後ろについたときに気持ちいいし、流れが整う。

Yokoya:それが本質だと思います。自分がどう動くかよりも、全体をどう感じるか。全体を意識するだけでも走り方は変わってくると思います。その感覚の鋭さが所作になっていく。こういう姿勢の積み重ねが、最終的にはサイクリストの“品格”みたいなところに結びついていくと思うんです。

 

落車は恥と知る

Zwiftの影響

——— いまの自転車シーンで所作が失われつつある要因はいくつかあるんですよね。そのひとつが、Zwiftの影響。仕事柄いろいろな人と走って撮影することがあるのですが、やはりZwiftの比率が多い方ほど、自転車の基本的な動作にちょっとした危うさを感じることがあります。

Ryuji:Zwiftは本当に影響が大きいですね。ワールドツアーでさえも落車が増えている。チームカーからボトルを受け取るだけで落車した元Zwift世界チャンピオンもいましたからね。
身の回りでも、インドアトレーニングを活用して富士ヒルゴールドクラスのFTPになっている人が、一時期は毎月のように落車報告しているのを聞いていて、明らかにZwiftの弊害が生じているなと感じます。

Riku:そもそも自転車ってリアルなスポーツなんですよね。Zwiftはコロナ禍で外を走れないときの代替手段として広まりましたし、最近は外を走るのが厳しい気候のときが多い。でもインドアライドはあくまで実ライドの代替手段であって、実走の経験を置き換えるものではないんです。マチューやワウトがあれだけ上手いのは、オフロードの経験値があるからですし。

Ryuji:にも関わらず、毎晩Zwiftだけやっていきなりレースに出るケースもありますね。そうすると、無理にイン切りしたり、集団の動きを見ていない危ない動きが目立つ。今のレースってZwiftでの効率的なトレーニングを取り入れた上での強度になっているので、勝負に絡むなら絶対に必要なのは確かなんですよ。でもグループの走行感覚は絶対に実走じゃないと身につかない。

Yokoya:PWRはヒルクライムには効果的ですけど、ロードレースはPWRだけでは成り立たない。
だからJPTでは、メインのトレーニングをZwiftでやっているという選手はいなかったですね。

落車のエンタメ化

——— もうひとつが落車について。落車報告を目にすることが当たり前になっています。日常のライドだけじゃなくて、レースの場面でもそう。

Ryuji:所作が伝わらなくなって一番危険だなと思っている傾向が「落車のエンタメ化」なんですよね。
ロードレースでも普段のライドでも、安全が何より最初にあるのは誰もがわかっていることだと思います。つまり「転ばないこと」です。

——— でもそれがコンテンツとして消費されるようになった。

Ryuji:本来所作を磨いていくのは安全に走るためなので、落車って一番恥ずかしいことだと僕は考えていますJPTで走っていた選手でさえ落車をSNSにアップするようになっていますが、それは自分の黒歴史を晒しているようなものですからね…。安全に対する意識の問題で、本来なら笑って話すような空気にしてはいけないと思います。

Riku:ちなみにシクロクロスはこけて当たり前なのでちょっと違うカルチャーですね。マチューもワウトもこけます。でもオンロードになると、いかに転ばないようにするかが大事になってくる。

Ryuji:もともと僕は学生時代お金がない家庭だったので、転ぶと財布的に厳しいというのが落車に対する原体験ではあるけれど、お金がある・ないに関わらず、落車って一緒に走っている誰かに怪我を負わせる可能性もあるし、最悪命に関わることもある。

——— 「落車は恥ずかしい」という意識を持つことが今の時代でもスタートラインになるといいね。本来は「転ばないことこそ美学」という共通認識が、自転車カルチャーとして共有されている状態が理想です。

Yokoya:その上で、自分の視野を広げながら、これだけ攻めても大丈夫だろうという安全のマージナルゲインを増やすことを走りの中で実践していくことが大事だと思います。

Riku:建設現場の「ご安全に」のような精神でいつも走りたいですね。

——— こうした危険な走り方を、みんなが身を投じてきた練習会のように、周りが指摘する環境が少なくなっている。それが最後の大きな課題だと思います。ラブサイのコミュニティで走るときも、たぶん僕を含めて誰かが危ない走り方をしている状況ってあると思うのだけど、それをお互いに言うことがこれまでほとんどなかったし、言いやすい環境にできていなかったな、というのが正直な反省点です。たぶん競技出身のみんなにはいろいろ見えていたと思う。

Yokoya:そうなんですよね。でも一般コミュニティに競技的な感覚を持ち込みすぎても違うし、相手が求めていないことを言ってしまうと浮いてしまうこともある。そこが難しいところで…。

Riku:僕もずっと「言っていいのかな?」という遠慮がありました。練習会やレースで自分より実力も所作も上の人たちを見てきたからこそ、自分なんかがみんなに注意したりアドバイスしたりする立場でいていいのかな、と。
あと、ラブサイのコミュニティって、ギスギスした空気ではなく、スタイリッシュに走りたい人が多い印象があって。そこに競技的な厳しさを持ち込むのは違うなとも思っていました。

——— なるほど…!そこは違う認識を持たせてしまったのかもしれない。スタイリッシュに走りたいのは確かにそうなんだけど、スタイリッシュ=ウェアや機材をかっこよくキメる、とかではないんですよね。あくまでみんなでライドするときは、走りそのものを安全にスマートに楽しむことがベースにある。みんなの背中が伝えてくれるような“所作”こそがスタイルだと思っています。ウェアや機材選びも要素のひとつだけれど、スタイルを語るならそっちのほうが大事かな。

Ryuji:僕の時代は怒鳴り合いでしたが、今はもっとマイルドに伝えられるようになっているはずですよね。

——— そう、だからもっと言ってほしいと思います。信頼関係が構築された大人のコミュニティだから、それで気分を害するメンバーはいないはずです。

Riku:ラブサイでこういう話をするのは意外でした。

Yokoya:でもこうやって競技とライフスタイル、それぞれのカルチャーの交差点が生まれるのは大事ですね。

 

憧れて真似される世界

——— 最後はひとりひとりが具体的に実践できることについて話したいと思います。練習会のような場を経験していないサイクリストが、今日のような話を自分の走りにどう落とし込めるのか。

Riku:僕が一番伝えたいのは、「人間観察してください」ということなんですよね。所作って、説明されて身につくというより、上手い人を見て、真似して、少しずつ自分のものになっていくものなんです。
「こういう走り方になりたい」というロールモデルを持つことが、所作を身につける近道だと思っています。

——— 3人とも“上手い人と走るなかで学んできた”という共通点があるよね。

Riku:そうですね。たとえばダンシングひとつ取っても、最初は全部“真似”からなんです。
いろんな人のダンシングを見て、「この人は休んでいるときこういう動きだな」「この人は踏んでいるときこういうフォームだな」と観察して、同じようにやってみる。休むダンシングは肩まわりに荷重を乗せていて、進むダンシングは脚に荷重が乗っている、とか。速い人はそういう動きが上手いので、その人の動きを分解していく。

Yokoya:ダンシングって本当に言語化しづらいんですよね。もし完全に言語化できるなら、自転車雑誌が何度も「ダンシング特集」をやる必要はないはず。でも実際は、いくら文章を読んでも、自分でやって、真似して、失敗してみないと身につかない。「この人のダンシングをコピーしてみよう」と思って、何度も試してみるのが一番早いと思います。

Riku:たとえば新城さんのダンシングを真似してみると、いろんな筋肉を総動員して耐えているのがわかるんです。

Yokoya:悪意あるレベルで真似が上手いよね(笑)。でも「こんなに体全体を使ってあのフォームを維持しているのか」と気付けるだけでも、人間観察する価値がある。

Ryuji:僕が競技に行こうと思った原点も、コンタドールのダンシングがカッコいいと思ったからなんです。彼のダンシングを見て、「どうすればああなれるんだろう」とずっと研究していた。どこに力を入れているのか、どのタイミングで重心を動かしているのか、自分なりに分解していって、最終的にはだいたいコピーできるようになった。
そうすると、不思議とダンシングが楽になるんです。「あ、正しいフォームって楽なんだ」と実感できる。

——— 「かっこいいと思った動きを分解して、徹底的に真似していく」というのは、すごく実用的な手法だね。

Riku:そうなんですよ。ポガチャルのダンシングって、言ってしまえば“わかりやすくかっこいいフォーム”ではないと思うんですけど、あれはあれで理にかなっている。いろんな選手のフォームを見て、「この人のここがいいな」と思う部分だけを抜き出して、自分の中でブレンドしていく。その過程で、最終的に自分のスタイルができていく感覚があります。

Yokoya:所作って、そうやって少しずつ“自分の型”になっていくんですよね。最初からオリジナルを目指すのではなく、まずは誰かをきちんと真似る。そのうえで、自分の体格や脚質に合わせて微調整していくイメージです。

——— それはダンシングだけでなく、ブレーキのタイミングやコーナーのライン取り、集団での位置取りも同じですよね。「この人の後ろは走りやすいな」と感じるなら、その人がどこを見ているのか、どのタイミングでペダルを止めるのか、どうやって車間を調整しているのか、その全部が観察対象になる。もちろんこれは、知らない人をツキイチして観るという話ではなく、コミュニティ内の許可された関係性の中で真似していく、という文脈が前提です。

Riku:さっき高速道路の渋滞の話をしましたけど、アクセルのON/OFFや車間のつくり方が上手いドライバーと同じで、集団の流れを乱さずに走れる人って自然とわかるんですよね。その後ろにいるとストレスがない。
そういう人を一緒に走る人の中で見つけたら、その人の所作をよく見る。それを真似していけば、自分の走りも変わっていくはずです。

Ryuji:これからのサイクリストに必要なのは、“観察して、憧れて、真似する姿勢”だと思います。
情報を読むだけじゃなくて、リアルな場で「この人みたいに走りたい」と思える誰かを見つけること。それが一番の上達方法であり、所作を身につけるいちばんの近道かなと。

——— ラブサイのコミュニティが進む先も、そこにあると思います。競技経験者の所作を、ほかのメンバーが“観察して、真似していける場”であること。「どうすれば転ばずに、かっこよく走れるか」を真剣に考える大人の集まりであること。

Yokoya:ウェアや機材選びももちろん大事なんですけど、最終的には“所作がかっこいい人”が増えるといいなと思っています。それがコミュニティ全体の雰囲気やカルチャーをつくっていきますし。

Riku:ロールモデルがいて、背中を見て、憧れて、真似して。そうやって所作が伝わるコミュニティって、やっぱりいいですよね。そういう場所なら、自分もそこにいたいなと思えます。

——— 僕もそう思います。サイクリストの品格は所作に宿るし、所作はコミュニティの中でしか育たない。
ラブサイとしても、これから先のライドや撮影を通じて、「こう走りたい」と思える背中を増やしていきたいですね。その積み重ねによって、今の時代に合った自転車カルチャーが少しずつ形成されてい
くはずです。

背中からその先へ

* * *

所作の話を深めていくと、走りそのものよりも「サイクリスト同士がどう関わるか」という人間的な領域にたどり着く。対談で感じたのは、上手い人の背中から学ぶという、コミュニティ本来の学び方が、この10年で少しずつ薄れつつあるということだ。速さや機材のアップデートとは違い、所作は環境そのものが育てる。だからこそ、どんな環境で走るかがこれからますます重要になっていく。
この対談が、自分の周りの走り方や、誰とどのように走りたいのかを改めて考えるきっかけになればと思う。派手さはなくても、周囲を尊重した静かな所作が積み重なれば、今足りなくなったカルチャーの “芯” をまた育てていけるだろうし、LOVE CYCLISTも、そのきっかけをつくる場であり続けたいと思う。

member / Ryuji, Riku, & Yokoya
edit & photo / Tats@tats_lovecyclist